長廊下一列に行く若葉かな 今泉 而云
『この一句』
若葉溢れる長い廊下を一列に歩いている、とはどういう光景だろう。例えば京都の東福寺。紅葉で有名だが、新緑の季節もまた素晴らしい。特に通天橋という橋廊からの眺めは絶景だ。休日ともなると長い廊下に観光客が列をなす。あるいは、大きな旅館の渡り廊下。その廊下から自慢の中庭を見ると、若葉が眼を癒やしてくれる。そういう若葉に相応しい景が浮かび、採った。
果たして読みは当たっていたようで、作者によると何十年も前の旅行の想い出という。京都の天龍寺だったか、十人足らずの一行が長廊下を一列になり、樹々の若葉を見ながら歩いて行った。また、ある料亭で知人の祝い事があり、そこでも似たような経験をしたという。
ところが、この句を選んだ愉里さんは、「入学したての小学一年生の列を詠んだと思いました」という。ほかにも似たような解釈をしていた人もいた。なるほど、体育館に繋がる渡り廊下を新一年生が一列に歩いている情景、との解釈もありそうだ。若葉が眩しい季節でもあり、初々しい児童を若葉と対比させた、とも取れる。
俳句は発表した後は、どう解釈されても読者の自由といわれる。自分の体験に照らして、それぞれの景を思い浮かべるのも俳句を読む楽しみの一つだ。
(双 23.05.17.)
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