寛解の報あたたかき穀雨かな   大沢 反平

寛解の報あたたかき穀雨かな   大沢 反平

『この一句』

 一般用語としての「寛解」は「おだやかであること」「くつろぐこと」などを表す。そしてもう一つ、医学用語として重要な「寛解」がある。こちらは症状が「一時的に」、あるいは「永続的に軽減、または消失したこと」を意味するという。難病に悩む人々には嬉しい報せではあるが、安心するのはまだ早い。「これからが勝負」という実情も、心得て置かなければならない。
 掲句は作者自身に対するものではなく、親族・友人などに伝えたい気持ちを詠んだように感じられる。嬉しい報せではあるが、大手を振り上げて「バンザイ」を叫ぶ気持ちにはなれない。そんな一日、暖かそうな春の雨が降っていたのだ。俳句を嗜む作者は「穀雨だな」と思う。歳時記によれば「晩春の頃、百穀を潤す」という雨である。作者は腕を組み、雨を眺めていた。
 寛解となった病は、この後どのような動きを見せるのか。病状の真実は医師も、患者本人も読み切れないし、知り得ない。作者は数冊の歳時記や辞書を開き「穀雨」を調べ直した。どの書も「二十四節気の一つ」「百穀を潤し、健全な成長をうながす雨」などと記している。作者に満足感が生まれた。「穀雨」に出遭えたのだ。大いに喜ぶべき、と気づいたのである。
(恂 23.04.28.)

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