童謡の里ゆくバスを待つうらら  杉山 三薬

童謡の里ゆくバスを待つうらら  杉山 三薬

『この一句』

 日経俳句会の創設者村田英尾先生(筑波大学教授、日経診療所長)が亡くなったのは2005年3月2日。以来、毎年2月末から3月半ばにかけて、有志で八王子霊園に墓参りし、その近くを吟行するのが習いとなっている。
 令和5年は霊園前からバスに乗って30分近く、もう山梨県境に近い山奥の「夕焼け小焼けの里」に行き、またバスに乗って折返し、高尾山口に近頃出来たアイリッシュパブで俳句談義を闘わす懇親会を開いた。
 この「夕焼け小焼けの里」はその名の通り、「夕焼け小焼けで日が暮れてー」の有名な童謡を作った詩人中村雨紅の生まれ在所。雨紅がこの童謡を作詞した大正時代にはまだバスも通らず、雨紅は八王子駅まで4里の道を毎日歩いたという。今は舗装道路が通り、一時間に一本のバスが通うようになってはいるものの、村の様子はあまり変わっていない。「時刻表もバス停もないバスを半信半疑で待っている時間は、長閑そのものでした。まさにこの句の通り」(双歩)、「うららという言葉だけであの時の情景が目に浮かびます。バスを待つっていいですね」(実千代)。
 手を上げれば停留所ではない場所でも乗せてくれるし、降りたい場所で「下ろしてー」と言えば止まってくれる。「東京都内にもまだこんなところがあるんだなあ」と愉快になった。
(水 23.03.12.)

この記事へのコメント