春燈下久方ぶりに紅を差す 久保田 操
『季のことば』
春夏秋冬それぞれに「灯(燈)」を付けたものが季語になっている。燈火というものが季節に応じていろいろな雰囲気を醸し出すからであろう。その中でも「春燈(春灯)」は艶っぽさを感じさせて独特である。春の燈は他の季節の燈火と異なり、人の情といったものがからんで来るようだ。
この句も、「冬の寒さに億劫病が出て引き籠もっていましたが、今日は親しい方からのお誘いを受けて、嬉しさに久しぶりに紅なんか差しています」という、万太郎調の艶を感じて「いいなあ」と思った。
そうしたら誰かか「この句はコロナで長い事外出や会合などに出なくなり、ろくに化粧もしなかったが、コロナ騒ぎも下火になって久方ぶりの外出、という気分をうたったものだろう」と述べた。そうか、そうなのだ、確かにそういう時事的なことを含んでいる令和5年春の句というのが正解なのだろう。私はうかつにもその点に思いを致さず、ただ艶なることのみ思い描いていた。
しかし、今また改めてこの句を読み返して、コロナ禍なんぞ関係なしの句として受け取った方が句としてふくらみがあり、永続性があるんじゃないかなあ、などと思っている。作者に聞いてみたら、やはり「コロナ籠もり」の句だというので、やれやれと思ったのだが、こんなふうに受け取られ方が変わるのも俳句の面白味だろう。
(水 23.02.23.)
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