ひとり身も十年経ちぬ春袷 山口 斗詩子
『この一句』
季語の「春袷」は春に着る、明るい柄のお洒落な「袷」というイメージである。この理解はおおむね間違っていないようだが、大元の「袷」の認識が違っていることに気がついた。歳時記を見ると「袷」は夏の季語になっているが、筆者の頭の中にあった「袷」はむしろ秋冬の着物というイメージであった。
水牛歳時記の「更衣(ころもがえ)」の項を読むと、旧暦四月一日に綿入を脱いで、綿の入っていない裏地だけの袷に着替える。これが更衣であると説明されている。従って「袷」が夏の季語であることに合点が行くが、綿入などほとんど着なくなり、冷暖房に囲まれて過ごす昨今、実際の生活感覚からすると少し違和感が残るのはやむを得ない。
掲句は、亡き人を偲んで春袷を手にする女性の句である。十年ぶりに手にした春袷はまったくくたびれておらず、しゃんとしている。十年経ったが、その着物を着て、亡き人と外出したときの思い出もまだ鮮やか。どんな色合の、どんな柄の着物か、読み手の想像をたくましくさせる。「ひとり身も十年経ちぬ」の措辞と「春袷」の季語の取合せが絶妙で、まるで二物の俳句のお手本のような句である。
(可 23.02.20.)
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