獅子頭母に埋まる抱っこの子   篠田  朗

獅子頭母に埋まる抱っこの子   篠田  朗

『季のことば』

 獅子舞も現代の正月習俗から消えゆくものの一つかも知れない。都会ではショッピングモールなどの大規模会場で、餅つき大会と並んでショーあるいは余興に成り下がってしまった。地方では伝統芸能として脈々として受け継がれているようだが、それも過疎化や東日本大震災のため減少しているという。江戸期から祝い事、祭りに欠かせなかった獅子舞、筆者にも様々な思い出がある。北海道の田舎の秋祭りには、一本歯の高下駄を履いた天狗、中に二人が入った獅子舞は町内練り歩きの必須アイテムであった。小学生の筆者は獅子舞に頭を噛んでもらうのが常。頭がよくなるという俗信を信じていた訳だが、長じてみればこの駄文をご覧のとおりボンクラ頭。
 それはさておき、掲句の「獅子頭」である。幼児にはよほど怖いものであるようだ。孫が二歳くらいの十年以上前、蕎麦屋で食事中に流しの獅子舞が飛び込んできた。孫はヒキツケを起こさんばかりに震えて、こちらがびっくりしたことだ。それだからこの句はよく理解できる。獅子頭は木を細工して作るのが古来。今日日は発泡スチロール製もあるというので驚いた。木製ほどに迫力のあるものが出来るのかどうかは知らないが。この句は「獅子頭」と置くより、「獅子舞や」と置いたほうが獅子の乱舞と迫る獅子頭に「抱っこの子」の恐怖心がより表現できたのではないかと思う。採らなかった理由を言訳がましく言ってしまった。
(葉 23.01.25.)

この記事へのコメント

  • 酒呑堂

    最初「母に埋まる」という言い方に、「?」となったのですが、噛みしめてみるに、素晴らしい詠み方だなあと思うようになりました。いきなり眼前に現れた獅子頭にこの子の仰天ぶりがよく分かります。豊かな母親の懐に身を縮めて潜り込む。こういうのトラウマにならないのか気になります。まあ多分大丈夫で、後年、笑い話の種になるのでしょう。コメント筆者の(葉)さんの言われるとおり、やはり「獅子舞や」の方が素直でいいと思います。
    2023年01月25日 18:33