身延線枯野に淡く富士の影    中沢 豆乳

身延線枯野に淡く富士の影    中沢 豆乳

『この一句』

 俳句を読む楽しみのひとつに、行ったことのない場所を句の内容から想像し、疑似体験できることがある。ガイドブックや旅行記に頼らなくても、わずか十七文字を読み下すだけで、ありありと光景を思い浮かべることができる。
 掲句はそんな好例である。ローカル線である身延線の沿線に広がる蕭条とした枯野と、そこに淡く影を投げる富士山という雄大な景が見えてくる。句会では「身延線に乗ったことないが乗ってみたいなと思わせる句」(可升)との評もあった。
 評者はたまたま今年五月に身延線に乗ったことがあり、句を読んで「どの辺りだろう」と気になった。身延線は甲府駅から富士駅まで、富士川に沿って走る山岳路線である。甲府から乗ると山間を縫うように走り、大半の区間は山容が迫って富士山は拝めない。
そこで作者に聞いてみた。すると富士川の下流域で、河原に広がる枯野と大きな富士山を遠望した体験があり、それを詠んだという。作者の母親の実家が甲府にあり、大阪に勤務していた頃に静岡で身延線の特急に乗り換えて甲府までよく帰ったそうだ。特急が富士川の鉄橋を渡る辺りに枯野と富士山を望めるビューポイントがあり、作者はここでの記憶を詠んだと推察される。枯野越しの富士の影は、母の思い出につながる影でもあったようだ。
(迷 22.12.26.)

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