セーターの袖の伸びたる余生かな 玉田春陽子
『合評会から』(番町喜楽会)
光迷 今の私にぴったりあてはまる句です。けっこうボロボロになっていて、この先どこまで伸びるやらわかりません。
てる夫 たまには新しいセーターにして気分転換したらどうだろう。しょぼい心境を詠んだ句ですね。
青水 私もけっこう古いのを着ています。「余生かな」の表現は少し生々し過ぎるように思うけど、それがこの句の持ち味ですね。
白山 「袖の伸びたる余生かな」とは、また上手い発見をしました。参りました。
可升 やることもなく、つまらない余生とも読めるが、実は、この作者はこんな句を詠んで、けっこう余裕のある余生を過ごしている。
双歩 そうそう、これはいわゆる自虐ネタで楽しんでいる句です。
木葉 「袖の伸びたる余生」とは、何かの喩えかな。例えば、あちこちに手を広げ過ぎて収拾がつかなくなったとか。
* * *
多くの人が、この句の作者はたぶんあの人だろうと予測していて、やはりあの人の句だった。誰が付けたか、この作者には「小道具の春陽子」の異名がある。この句の「袖の伸びたるセーター」もまさしくそれである。相変わらずいいところに目をつけるなと、一同恐れ入るやら、悔しがるやら。令和四年の番町喜楽会の掉尾を飾る一句。
(可 22.12.20.)
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