何にでも一家言あり泥鰌鍋    星川 水兎

何にでも一家言あり泥鰌鍋    星川 水兎

『この一句』

 いるよねこういう人、と共感してしまう一句である。
 「まる」だ、「さき」だと、泥鰌の調理方法のことを話しているのだろうか?駒形と飯田屋の味付けの違いについての講釈だろうか?あるいは、本来の表記は「どぢよう」か「どじよう」なのに、「駒形どぜう」となった由来の話だろうか?一家言の持ち主がどんな話をしているのかわからないだけに、想像をたくましくすることが楽しい句である。また、「泥鰌の髭面と一家言の持ち主の面貌が似ていることを詠んだ句に違いない」という選評もあり、なるほどそうかと思わず笑ってしまった。
 作者が、刺身を食べないことで有名な水兎さんと知れて、一同キョトンとした。水牛さんから、以前彼女を泥鰌鍋に誘ったが、「まる」は絶対に受けつけず、「さき」でも気持ちが悪いと敬遠したという話が披露され、それと共に「この句は一家言の多い僕のことをを皮肉った句に違いない」という当て推量があった。この日は作者が欠席されていて、残念ながらこの推量が当たっているのかどうか聞き損ねたが、一同然もありなんという顔をしている。
 いずれにせよ、談論風発、和気藹々の年末句会に相応しい、ほのぼのとした一句である。すぐに泥鰌屋に走りたいところだが、この日は近くの焼鳥屋で我慢した。
(可 22.12.12.)

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