三十歳花嫁となる十一月 向井 愉里
『季のことば』
私(筆者)のパソコンに残る今年の各句会の兼題を調べたら、日経俳句会の八月句会に「八月」があった。続いて番町喜楽会の九月句会に「九月」。そして十月の日経俳句会の「十月」が続く。この時点で私は一つの期待を抱いた、来月のどこかの句会に「十一月」が出てくるか」ということである。
十一月は捉えどころのない月だ、と私は思う。一生のうちに十一月という季語を詠むことがあるだろうか、とぼんやり考えたこともあった。日経句会系の各句会の兼題を、どなたが決めているのか私は知らない。果たして今月はどうか、と待ち受けていたら、番喜会についに「十一月」が登場した。
選句表が到来、ずらりと並ぶ十一月の句の中から、掲句に眼が止まった。「六月の花嫁」は幸福になるのだという。では十一月の花嫁は? じっと句を見つめていたら「この人も幸福なる。絶対に」との確信が湧いてきた。理屈ではない。句を見てそう思えてきたのだ。三十歳の花嫁と十一月の小春日の醸す雰囲気を感じ、私は「うまく詠むものだな」と頷くばかりであった。
(恂 22.11.14.)
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