鰯焼く遠き昭和の夕支度 久保田 操
『合評会から』(日経俳句会)
鷹洋 今どき、こんな風に鰯を焼くことはないでしょう。昔は結構ありました。ノスタルジーですね。古き良き時代、ということで採らせて頂きました。
而云 本当にそーだったなあ、って思った。終戦直後、鰯ばっかりだった。ボクはそれで鰯が好きになった。それでカミさんに頼むんだが、鰯を買ってきてくれないんだなあ。昭和は本当に遠くなった。しみじみと実感しますよ。
静舟 七輪を外に出して団扇でパタパタ。煙もうもう、目に染みる。ああ、昭和!鰯もうまかった!
昌魚 七輪を外に出して焼いて、よく食べました。懐かしい。
豆乳 鰯やサンマを焼く夕餉も、懐かしい情景になりつつありますね。
戸無広 昔懐かしい、田舎の家族との食事を思い出す。
* * *
合評会では「鰯でなくて秋刀魚にしても成立する句ではないか」という意見があった。しかし、それは違う。確かに秋刀魚も猛烈な煙を上げる。だが鰯の煙はもっとドロくさい、独特の臭みで、秋刀魚の煙とは全然違う。秋刀魚も大衆魚だが、秋の味覚としていわゆる上流階級の食膳にも乗った。しかし、鰯は完全に「庶民のおかず」だった。東京の下町にまだ長屋というものがあった昭和40年代、秋から冬にかけて、向こう三軒両隣すべて外に七輪を出して鰯を焼いた。その煙のなかをお父ちゃんが勤め先から帰って来るのだった。みんな貧しかったが、イキが良かった。
(水 22.11.02.)
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