姥捨の田ごとの穭うすみどり   嵐田 双歩

姥捨の田ごとの穭うすみどり   嵐田 双歩

『合評会から』(番町喜楽会)

百子 秋に四国や九州に行って、薄緑の綺麗な穭田(ひつじだ)を見たことがあります。きっと姥捨(うばすて)の田んぼも同じような光景だろうと思いいただきました。
光迷 あちこちの棚田を見に行きましたが、姥捨の棚田の緑もきっと美しいのだろうと思います。
水馬 格好よくて、すごく上手な句です。
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 舞台を信州姥捨の棚田にもってきた。知る人には鮮明な景がまず浮かぶ。「穭田」の季語は都会に住む人にはイメージしにくいと思う。青々とした稲田、稔った黄金の稲穂は視覚的に綺麗で句想も湧きやすそうだ。反対に水を張ったばかりの春の田や、刈り取りを終えたばかりの田はあまり見栄えするものではない。そこで作者は穭田に残る生命力に注目した。
 刈り入れが終わった後に、またぽちぽちと新芽が出て来るのが穭(ひつじ)。それはたしかに「うすみどり」で、放っておけば芽が伸び切って田一面が薄緑に変貌することもある。この句はどの段階を詠んだのだろうか。筆者は「ぽちぽち新芽」の段階と解釈したい。そのほうが田一面が薄緑になるより、穭の健気さと時間軸の広がりを感じるからである。この句は「姥捨」と「うすみどり」が相乗効果を生んで、「すごく上手」と言わせる句に仕上がったのだと思う。
(葉 22.10.16.)

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