秋蝿のわざわざ寄りて叩かれり 向井 愉里
『この一句』
「蝿」は夏の季語である。蝿は気温が高い夏に多く、活発に動き回ることから夏の季語となったのだろう。「五月蝿」と書いてウルサイと読ませることに、夏の蝿の特徴がよく現れている。
これに対して「秋の蝿」は飛ぶ数もぐんと少なくなり、存在感も薄まり、なにやらもの悲しさを感じさせる。さらには「冬の蝿」も俳句ではよく詠まれる。夏には嫌われていた蝿も、冬にはすっかり弱ってしまい、生きもののあわれさや、生命の実相を見せてくれる存在となる。
掲句は、決してうるさくない秋の蝿なのだから、わざわざ人のそばに寄って来なければ、叩かれることもなかったのになあ、という意味にとれる。「雉も鳴かずば撃たれまい」と意味はよく似ているが、そんな警句のもつ教訓めいた臭さをちっとも感じさせない句である。
作者は、蝿を叩いた人を非難するのでも、叩かれた蝿を貶めるのでもなく、蝿が「寄りて叩かれ」たことを、一つの事象として淡々と伝えている。そのことによって詠まれているのは、蝿のことよりもむしろ、秋のもの悲しさであり、この光景に立ち会っている作者自身の心の内だろう。「わざわざ」の四文字が効果的に使われ、とても俳句らしい俳句になっている。
(可 22.10.07.)
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