孫の問ふ何であの雲いわし雲 高井 百子
『季のことば』
幼い頃のことは結構、覚えているような気がしていたが、八十歳の大台を越せば、おおよそは忘れ去っているものらしい。何かの折に「そうだった」と思い出すくらいが関の山。しかし何らかのヒントによって次々にさまざまなことを思い出し、汲めども尽きぬ思い出が甦ってくることもある。掲句に出会い、そのようなことを、しばらく考えた。
私が小学校高学年の項のこと。「鰯雲」も「鱗雲」も、名前だけは知っていて、その頃は別々のもの、と思っていた。秋日和の一日、鰯雲状の雲が空を覆っているのを見て、母親に聞いた覚えがある。「あれ、鰯雲? 鱗雲?」。母親は「そうねぇ」と呟いて空を見上げた。「どっちかな。分からない」。母はその頃、俳句をやっていたはずである。
掲句を見て、忘れていた母親とのやりとりを思い出し、やがて雲の真実が浮かんできた。鰯雲と鱗雲は同じものだったのでは? 歳時記を見たら、その通り。私はいつの頃か雲のことは忘れ、母との会話だけを覚えていた。それが頭脳の特質かも知れない。句のお孫さんも祖母に問うたことだけは、何時までも確実に覚えているに違いない。
(恂 22.10.05.)
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