年甲斐もなきシャツの色竹の春 髙石 昌魚
『季のことば』
「竹の春」は「竹の秋」とともに、勘違いしやすい季語の代表である。竹の秋が、春先に筍に養分を取られて葉を落とす姿を表し、竹の春が、秋になって勢いを取り戻した様子を意味するというからややこしい。春に芽吹き、秋に落葉する普通の草木と、竹の成長サイクルが逆であるため、季語も春・秋逆転している訳だ。
従って竹の春の本意は「万物凋落する秋に、生気を取り戻し枝葉を茂らせる(水牛歳時記)」ところにある。掲句はそんな竹の性状に、自らの在り方、気の持ちようを重ねて詠んでいる。自分の歳にしては派手かなと思いつつも、あえて若々しい色のシャツを着る。「年甲斐もなき」という言葉に、歳には負けないぞという思いが滲む。コロナと暑さで家に籠ってばかりだったが、涼しい秋を迎え、気分新たに外出する情景と見た。
句会では、竹林の緑とシャツの色を対比させた点を評価する声や、秋の竹に負けずに派手なシャツを着て元気を取り戻している作者に共感する人が多く、高点を得た。
最後に作者名が明らかになった時の、出席者の驚きが見ものだった。
「高石さんは91歳か」
「いや昭和4年と聞いたことがある。93歳だよ」
「若いなあ。良いなあ!」
「新鮮だなあ!どんな色のシャツだったんだろう?」
「今度、そのシャツを着て来てほしいなあ!」
(迷 22.09.30.)
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