爽やかにあとの一人を皆で待つ 金田 青水
『この一句』
「あと」の一人の捉え方で、いくつかの条件や様子が生まれくる句である。ある人は、駅前での待ち合わせに遅れている人を考えた。山歩きで遅れ、仲間が「大丈夫かな」と心配していると見た人もいる。一方、私は駅前でも山でもなく、秋風の吹き渡る花野を思った。「爽やか」の語によって、不安な状況が頭に浮かんでこないのだ。
掲句から、あの人はいつも早めなのに、とか、バテてしまったかな、という状況が感じ取れない。早く集まった人々が、後れた人を「あの人なら当然」と思っている雰囲気である。秋の野に咲き乱れる花々を、ゆっくり見て歩く仲間がむしろ羨ましいのだろう。私もあの人に付いて行けばよかった、という雰囲気さえ感じ取れるだろう。
秋の野に咲く花は野菊、紫苑、あきのきりんそう、彼岸花など、いちいち挙げたらきりがない。ほら、あの人「この花は、あの草は」と、いろいろ説明していたじゃない。その人が後れたのは、珍しい花でも見付けてしばらく足を留めたのだろう。「だから心配しないのよ」。私には女性たちの、そんな声が聞こえてくるのだ。
(恂 22.09.29.)
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青水