さあ九月怠惰蹴散らし婆の立つ 山口斗詩子
『この一句』
「怠惰」という人に取り憑く妖怪がいる。ことに年寄りに取り憑きやすい。ちょっと隙きを見せると取り憑く。取り憑かれたらもうずるずるべったりである。身体中の力が抜けてしまって何もする気が起こらない。あれもしてない、これも手つかずだと次々に思い浮かぶのだが、体の方が云うことを聞かず、そのままになってしまう。「あれもせずこれもせぬまま九月来 水兎」という句もある。
これをそのままにしておくと、頭の方も鈍ってしまい、「まあいいか」となる。そうなってしまうともう救いようがない。時々、テレビに取り上げられる「ゴミ屋敷」の主人公はもう完全に“タイダ”の虜になってしまった標本である。
実は私もそれになりかかっている。本や新聞雑誌の切抜きが主な物だが、旅先で買ったりもらったりしたお土産、記念品、置物、自作の陶芸作品、各地で拾った石ころに至るまで、棚や収納家具に収まり切れないものが書斎の中に積まれている。大地震が来れば、それらが崩れて我が身は埋められてしまい、一巻の終わりとなるだろう。
この句の作者はそれほどひどい状況に陥っているとは思えないが、とにかく危険な徴候に気づいて、敢然と立ったのだ。去年あたりから足腰の弱りで夜間外出がままならなくなり、句会に出席できなくなったのがくやしいとぼやかれていたが、先日、吟行に参加されて元気な姿を拝見し安心した。そして、この句である。実に潔い句ではないか。どんと背中をどやされた感じで、遅まきながら私も頑張らねばと気合を入れ直した。
(水 22.09.27.)
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