石磨き石に磨かれ秋の水    玉田 春陽子

石磨き石に磨かれ秋の水    玉田 春陽子

『合評会から』(酔吟会)

双歩 こういうレトリックの俳句は多いとは思うのですが、石が水に磨かれていると感じる作者の感性。「うまい句」です。
青水 確かに、うまいですね。それと「秋の水」という季語へ持っていく措辞の技巧的で上手な描写に、気持が動きました。
てる夫 湧水が山の水路を通るうちに「磨き磨かれ」というのですね。どういう水路を通るかによって磨かれ方が違うのでしょう。
反平 澄み切った秋の空の爽やかさと、水の透明さが浮かびます。
          *       *       *
 季節は違うけれど、「石走る垂水の上のさわらびの・・・」の歌を思い出した。「石に磨かれる水」というのがいい。磨かれ方によって軟度も味も変わってくるのだろう。合評会では「むしろ冬の尖った感じがする」「いや、夏じゃないのか、強い流れの」という感想もあったが、石に磨かれる水は一も二もなく「秋」の清流である。
 それよりもどきりとしたのは「僕はなんだか教訓的な句だと思うのですよ」(而云)という意見だった。実は私もこの句を選びながら、切磋琢磨とか金剛石も磨かずばとか、あれこれの教訓句が脳裏を過ぎった。しかし、この勢いのいい詠み方に惹かれて採った。「俳句は気合」というところもある。
(水 22.09.15.)

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