水風呂に西瓜も子らも冷やしけり 谷川 水馬

水風呂に西瓜も子らも冷やしけり 谷川 水馬

『この一句』

 昭和の原風景である。大型の冷蔵庫が各家庭に普及した現在では、風呂桶に西瓜を入れて冷やすなどあり得ない、考えられないと若い世代は思うだろう。昔はそんなことをしたのである。自動洗濯機、炊飯器、電気冷蔵庫のいわゆる「三種の神器」が常識になるまでは、西瓜を冷やすのは氷塊が入った木製冷蔵庫であった。電気冷蔵庫はあったことはあったが、外国製の大変高価なもので庶民に手が届くものではなかった。それでも丸ごと入るほどの収容力がないから、半分や四半分にして冷蔵庫に収めた。今では西瓜を冷水で冷やすのは、深井戸を持つ地方の旧家か、山から流れる湧き水の恩恵を受ける限られた地域のみであろう。
 この句の作者の幼少時には、水を張った風呂に西瓜を冷やしたということになる。暑い盛りのことゆえ、子供たちもその水風呂に飛び込んだ景とみた。久々に二ケタの得点が出た今月の俳句会で「天」の句。「昔はこうだった、懐かしい」「友達の家で西瓜といっしょに風呂に入った」「野菜も子供も一緒くただった」など、共感する声が大方である。そんな記憶のオンパレードの反面、「ありそうだが、どうも眉つばの句」だと異議を申し立てる句友がいた。「子供を冷やすなんてことはしない」というのが論拠。
 しかし二ケタ得点句の〝威光〟が異論を跳ね返す。長老の「私もよくやりました。よくこんなことを思い出したな」との声が場を片付けた。とまれ年齢層の高い句会ならではの一句だ。ただ、水風呂とあるから「冷やしけり」は要らないとの指摘には異論はなさそうだ。
(葉 22.09.06.)

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