無マスクは素裸の如歩みゆく 鈴木 雀九
『季のことば』
句会でおずおずと「この句、季語はなんですか」と聞かれた。「裸ですよ」と小声で教えた。昔は真夏になれば子供はもちろん大人だって裸になった。下町ではステテコで上半身ハダカなど平気で、中には越中褌だけというオヤジもいた。オッカサンだって湯文字(腰巻)に帷子一枚というのがめずらしくなかった。「裸の子裸の父をよぢのぼる 津田清子」という句があるが、夏の宵の口、行水浴びてさっぱりした親子があけっぴろげの部屋で戯れているのが外から自由に覗けた。「夏の醍醐味は真っ裸の夕涼み」という時代があって「裸」という季語が生まれたのだが、エアコン時代には通用しにくくなった。
さてコロナ禍長引くこの時代。国民はもとより、政府も「コロナ対策」にくたびれてしまったらしい。新規感染者はどんどん増え続けているのに、もう打つ手が無い状態のようである。それどころか、飲食店の営業時間短縮や旅行制限などの規制を続けていては経済が保たないと、次々に緩めている。あれほど厳しく言い募っていた「マスク着用」も、「屋外では外して良い」と言い出した。なんだかソーリダイジン以下、「コロナになるならなーれ」といった感じで、ついには政府スポークスマンの内閣官房長官が感染しちゃった。笑えない笑い話だ。
お言葉に甘えてマスク無しでオモテに出た。なんだか素っ裸になったような感じで、気恥ずかしいような、おぼつかない感じである。でもしばらくすると、空気がおいしくて実に気持がいい。裸の大将のような気分で大股で歩き始めた。
ぶっきらぼうで破格の詠み方だが、天衣無縫の面白さのある句だ。
(水 22.07.24.)
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