水撒いて胡瓜と茄子に声かける  大澤 水牛

水撒いて胡瓜と茄子に声かける  大澤 水牛

『季のことば』

 「季語が三つもありますね」と合評会で声が出た。「水撒き」「胡瓜」「茄子」は言わずと知れた夏の季語。複数の季語が句中に存在すれば、季語同士が喧嘩をして何を詠んでいるのか分からない、俳句の態をなさないというのは初心者の俳句心得。ところが掲句はそんな心配を軽くいなして、涼やかな夏の一場面を切り取った。庭の花々や畑の作物に水を遣るのは、朝夕の気温が高くない時間帯と決まっている。筆者も少しばかりの庭の花々に朝か夕方に水を遣るのが日課だ。
 作者の畑づくりは俳句会仲間に周知のことである。実に丹念に季節の野菜を育てていると聞く。小松菜が虫に食われて無残な姿になったとか、作り過ぎた胡瓜が大きく育ちすぎて糸瓜みたいになっちゃたとか、日ごろの失敗談まで聞いている。作者と畑仕事は不可分のようである。
 「季語三つ」にもどると、この三つはいずれも整理できない。ひとつ欠けても物足りなさが残る気がする。しかも季語同士が喧嘩して収拾のつかない句になっているわけではなく、むしろ三位一体の感じをもたせる。季語の重複も時にあっていいのだという見本のような句である。「声かける」と収めた下五も動かない。作者の野菜に対する愛情そのものだからだ。「生きているものには声をかけたくなるんですね」「気持ちがよくわかる」との評の通りだ。作者は「水撒きは日課だし、胡瓜茄子も事実だし省けないんですよ。この句の季語は『水撒き』でしょう」の弁に異議はない。
(葉 22.07.21.)

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