夏草を刈る人も無し社宅跡 須藤 光迷
『この一句』
社宅とは、昭和世代にとって懐かしい言葉である。社宅制度は明治時代からあるらしいが、昭和の高度成長期を中心に広く普及した。戸建てから鉄筋のアパートまで規模や形状は様々だが、同じ会社に勤める社員とその家族が暮らし、コミュニティーを形成した。
その後社会が豊かになると、持ち家推進策がとられ社宅を出て行く人が増えてくる。プライバシーのない社宅は嫌われ、住む人は減っていった。老朽化した社宅は売却したり、取り壊して空き地となったところが多い。
掲句は昔社宅があった空き地がほったらかされて、夏草が生い茂っている様を詠む。作者によれば家の近くにある大手企業の社宅跡という。「刈る人も無し」の措辞は、言外に「住んでいる人は誰もいなくなった」の詠嘆がある。作者が見ているのは、企業の栄枯盛衰であり、社会の変転であろう。句会でも「戦争中の社宅を思い出した」(白山)、「昔住んだことある。昭和の遺物」(的中)など、自らの思い出を重ねて点を入れた人が多かった。
芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」の句を引くまでもなく、生命力あふれる夏草は、滅びしもの、儚なきものとよく対比される。昭和という時代のエネルギーや家族のありよう、コミュニティー、それらが失われたことに対する哀惜の思いも感じられる。
(迷 22.07.18.)
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