筑波嶺に雲たなびきて梅雨明けり 石黒 賢一

筑波嶺に雲たなびきて梅雨明けり 石黒 賢一

『この一句』

 梅雨明けの筑波山に白雲たなびき、真っ青な空の下に広がる関東平野。実に 爽快な景色をなんの衒いもなく詠んだところが素晴らしい。
 現代俳句では富士山は盛んに詠まれるが、どいうわけか筑波山はあまり登場しない。しかし、俳句の祖先である連歌は別名「筑波の道」と言う。東征したヤマトタケルが筑波を過ぎて甲斐国にやって来たとき、「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と問いかけたところ、お供の火灯の翁が「かがなべて夜には九夜日には十日を」と受けて、一首成立せしめた。これが連歌の始まりとされている。
 時代が下るにつれて連歌が形式主義に陥ったのを脱しようと、江戸時代、「世俗的な連歌」すなわち「俳諧」が生まれた。何も歌言葉に限ることはない、普通の言葉で詠もうじゃねえか、和歌や連歌に取り上げられない下世話なものを詠んでもいいだろう、と面倒な決め事(式目)を取っ払った。これで息を吹き返した連歌は「俳諧連歌」と呼ばれ、やがて「俳諧」という呼称になり、その最初の句「発句」が独り立ちして「俳句」となった。
 本物より落ちるものには頭に「犬」を付ける言い方がある(イヌガヤ、イヌギリなど)。それにならって初期の俳諧師たちは自分たちの連歌(連句)を卑下して「犬筑波」と言った。このように、筑波山と俳句は深い縁がある。そんなことも思い出されて、梅雨明けを富士山ではなく筑波山でうたったのはいいなと、嬉しくなった。
(水 22.07.12.)

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