根津湯島巡り町屋は夕薄暑 玉田 春陽子
『合評会から』(日経俳句会紫陽花吟行)
明古 地名が効いている。常々、下町と「薄暑」は好相性と思っています。
白山 名残りの薔薇もあり「夕薄暑」が良い。
操 路線バスから地下鉄に乗り継ぎ吟行最後の目的地町屋に向かう。時間の経過が心地よい。
幻水 今回の吟行の行程を面白く詠んでいるのが良い。
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東京の地名が三つも入っている。地名を入れた句は成否が分かれると言う。地名を安易に詠みこんでは月並句に堕す恐れが十分にあると、普段から教わっている。地名のもつ独特のイメージに頼り過ぎてもいけないし、逆に地名が入ることによって句が生き生きと力を発揮する場合がある。作者の「高遠は空濠渡るほととぎす」が発句に採られ、先日歌仙を巻き終えた。これなどは伊奈の高遠城のイメージが読み手になければ、あるいは外の地名だとしたら訴える力がずいぶん違ったと思える。
歌仙「高遠の巻」は吟行をしながら忙しく進んだ。文京区の白山神社、八百屋お七の圓乗寺、小石川植物園をめぐる吟行である。路線バスと地下鉄を乗り継ぎ、最終目的地・町屋の蕎麦屋で打ち上げ会。だから地名が三つ、吟行の行程を詠んだだけとはならない味わいを醸し出している。たどり着いた町屋の「夕薄暑」が単なる季語ではない役割を果たしている。
(葉 22.07.08.)
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