樹間よりこちら窺ふ額の花 大下 明古
『この一句』
句友とともに吟行に出かけた紫陽花(額の花)の名所・白山神社(東京都文京区)で、図らずも花の思いに触れてしまった。境内の通路をゆっくり巡り、ずらりと並ぶ紫陽花を眺めて行くうちに、何やら不思議な感覚が生まれてきたのである。通路に面し、人々の感嘆の声を浴びる紫陽花からは、いかにも満足げな、あるいは自慢げな雰囲気が浮かび上がってくるのだ。
やがて気づいた。重なり合うように咲く紫陽花の状況はさまざまである。日当たりがよければ開花も早く、色づきもよくなるようだ。一方、通路に面していても、日陰では何となく勢いがない。しかも隣には陽光を充分に浴びて素晴らしい色合いを誇る紫陽花が「私を見て」と言わんばかりに、咲き誇っている。紫陽花の立場には運、不運がある、などと考えていた。
そして数日後、吟行の幹事から選句表が送られてきて、掲句に出会い、ハッと気づいた。紫陽花は全てが通路に面しているのではない。あの境内には通路の奥の木陰にも、かなりの紫陽花が咲いていた。その紫陽花たちは、人の目にほとんど触れずに咲き続けることになる。樹間の紫陽花の一毬一毬、さらに一花一花は、そんな風に花の生涯を終えていくのである。
(恂 22.07.03.)
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