紫陽花や白山まるで村祭り 田中 白山
『この一句』
吟行句とは難しいものだと日ごろ感じている。吟行に参加しなかった人たちにも句意を理解してもらい、できれば高評価まで得たいと思う下心があるからだ。俳句は「一座の芸」だから、吟行同行者が理解しかつ評価を下してくれればいいではないかという意見ももちろん否定しない。とはいえ読み手に吟行参加者の感覚を持ってもらえる句が理想であろう。吟行句の巨星といえば芭蕉をおいていない。江戸と現代、大違いの時代相を超えて情景がまざまざと目に浮かぶ芭蕉句はやはり偉大である。なんだか大上段の吟行句論になってしまったが、吟行句はじつに難しいと言いたかっただけである。素人が戯言を言っているとお見逃しいただきたい。
さてこの句である。われわれ日経俳句会一行は六月中旬の一日、文京区の白山神社を吟行した。驚いたのは境内を一歩入ると、折からの「あじさいまつり」で大変な人波(もちろんそれ目当てに行ったのだが)。設えられた舞台でフラダンスの女性グループあり、本家白山神社の加賀からやって来た酒や酒菜などの物産を売る露店ありで、雑踏また雑踏の賑わいだった。句はあいさつを兼ねて「紫陽花」を季語に据えた。白山神社の満開のなか「あじさいまつりは白山の村祭り」と詠んだ。紫陽花どきの白山神社の賑わいを知っている人にとっても初耳の人にも、白山界隈の情景が容易に想像できる句となっている。作者の俳号が意図せず織り込まれているのはおまけ。
(葉 22.07.01.)
この記事へのコメント