田水入る一番乗りはあめんぼう  高井 百子

田水入る一番乗りはあめんぼう  高井 百子

『この一句』

 初夏になると田植に備えて田んぼに水が引き入れられる。この水と泥をトラクターなどで掻き均す代掻きを行い、田植となる。掲句は水が入ったばかりの田に、早くもアメンボ(水馬)が泳いでいるのを見つけた小さな驚きを語調良く詠んでいる。「一番乗り」の措辞がまことに効果的で、水を得て生き返った田と、スイスイ泳ぐアメンボの姿が見えてくる。水田風景が晩春から初夏へと移り変わる一瞬を活写した佳句であり、六月の番町喜楽会で最高点を得た。
 ところで「田水入る」も「あめんぼう」もともに夏の季語である。一句の中に二つ以上の季語があるものを「季重なり」といい、季語の印象を薄め合うので、避けた方がよいとされる。ただ主役となる季語が明確な場合など許容される例もある。
 この句はどうであろうか。「田水入る」も「あめんぼう」もどちらも欠かせない要素であり、むしろ組み合わさることで、初夏の印象がより強まっている。二つの季語がお互いを活かし合う絶妙な取り合わせの句と言える。
 上田市に住む作者の家の周りには田園が広がる。日課の散歩を欠かさない作者は、季節の移ろいに目を凝らし、句に詠みとめる日々を送っている。「一番乗り」の言葉には、小さなアメンボを誰よりも早く見つけた作者自身が投影されているように思える。
(迷 22.06.26.)

この記事へのコメント