高遠は空濠渡るほととぎす 玉田 春陽子
『この一句』
長野県伊那の高遠町は高遠城址公園に咲く「タカトオコヒガン桜」が有名だが、近年、幕末から明治期の俳人・井上井月との関わりでも少しずつ知られるようになった。「放浪の俳人」と呼ばれる井月は長岡藩の武士の家に生まれたが、藩政と相容れず、放浪の旅に出る。結局、伊那に居つき、そこでも放浪生活を送って一生を終えた。
その井月、一八六〇年頃に伊那を出て、京都、尾張、江戸などを巡り、各地域の著名宗匠などから一句ずつを得て、句集「越後獅子」を編集。その刊行にあたって、序文を頂くために訪問したのが高遠藩の著名な家老で俳人の岡村菊叟であった。菊叟は井月の人柄が大いに気に入ったようで、濁酒をふるまい、序文の求めに快く応じている。
そんな逸話を心に掲句を見て、私は大いに感じるところがあった。高遠城の濠は空堀ばかり。そこを時鳥が鳴きながら渡っていくのだ。井月は俳句史上「低俗、陳腐」と貶され続けてきた「月並時代」の俳人である。しかし「越後獅子」などによると、井月の句はもちろん、伊那の弟子たちの句はレベルが高い。掲句に出会って私は、月並時代の句と一括りにされる彼らの作品を広く知らせたい、と思い立った。
(恂 22.06.20.)
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