田を植ゑて米一粒の重さ知る 工藤 静舟
『合評会から』(日経俳句会)
健史 裸足で田植えをした子どものころを思い出します。労働の大変さを感じていました。「米一粒の重さ」に共感します。
雅史 子どものころ「お百姓さんを考えて食べ物を大切にと言われました。農業体験を通じての実感でしょうか。
明生 子供のころ「一粒残さず食べないと罰が当たる」と言われたものです。農家から見てもその通りなんでしょう。
反平 今時は全部田植機だから、昔の思い出だろう。子供の頃、一粒でも残したらよく叱られたものだ。
てる夫 果たして、田植えの時に一粒の米の重さを感じるものか?
* * *
この句について私は「教訓が前に出てしまって、詩情を損ねている」とくさして採らなかった。しかし、句会では高点を得て、合評会ではとても好意的な、素直な受け取られ方をしたので少なからず驚いた。素直に受け取れば良かったのに、感受性がしなびてしまった偏屈老人の、何にでも難癖をつけたがるクセが出てしまったらしい。
もう80年近い昔になるが、第二次大戦末期に千葉の田舎に疎開して、米や芋を売ってもらうために傲慢な百姓ジジイのご機嫌取りに、田の草取りに駆り出され泣いたことを思い出す。慣れない田草取りは稲の葉先の棘で目を突かれ、アブや蚊に攻められる。そうして手に入れた米はまさに重いものだった。飽食時代に馴れ、いつの間にか己が傲慢になっていることに気付かされた。
(水 22.06.08.)
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