三月や人去りし部屋広き部屋   伊藤 健史

三月や人去りし部屋広き部屋   伊藤 健史

『合評会から』(日経俳句会)

鷹洋 何回かの引っ越しの経験のある身としては、実感の湧く俳句です。
愉里 気づかなかった広さを掬い上げている。部屋のリフレインが気に入りました。
朗 子どもなのか、夫人なのか。いなくなった部屋の広さを強調していていい句だ。
水兎 部屋の繰り返しが効果的です。なにがしか深く思う事があったのでしょう。
青水 句の解釈の広さを読者にゆだねつつも、しっかりとした措辞で成功している。
水牛 就職、結婚、死亡。なんでもいいが、こういう情景が生まれる。とてもいい句なのだが、「人」ではなくて、例えば娘とか息子と具体的に言うべきではなかったか。
而云 人が去ったので広いのか、もともと広かったのか。「部屋」の使い方が良くない。
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 感覚的によく分かると共感する句評が多かった。「部屋」のリフレインも効果的と評価している。三月とは人生にあって、実にさまざまな事を経験する月日であろう。「人去りし」と距離を置いた表現だから、これは肉親ではないように思える。筆者は人事異動を想起した。机を並べた同僚、後輩が去って部屋にぽっかり穴があいたような感覚を詠んだのだと思う。もともと広い部屋なのか、狭い部屋でも人ひとりいなくなって広さを感じたのか、そこらがちょっと不明瞭なのが惜しいと思う。句会司会者に聞いたら本人が異動になったということで、作者自身の事であった。
(葉 22.03.30.)

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