暖色の白もあるのだ蕪煮る 中嶋 阿猿
『この一句』
蕪や大根には赤蕪や紅心大根もあるが、まずは白い姿を思い浮かべる。白、青を寒色と呼ぶのは小学生にも常識。雪や海の冷たさを連想する色だから寒い色なのだ。作者はこれに敢然と異を唱え、いやいや白だって暖かい白もあるんだよと言っているのがこの句である。漬物になった大根、蕪はさておき、おでんの大根は醤油出汁が浸み込んで真っ白じゃなくなっている。その点、蕪の煮たのにはまだ白さが残っていると思える。水煮したものにそぼろを掛ける前の蕪などは確かに白いままだ。
冬の夕食に蕪のそぼろあんかけなど食卓に上れば、晩酌の夫は嬉しさとともに暖かさを感じるにちがいない。作者は料理が好きで台所仕事が楽しいのだとも思わせる。「暖色の白もあるのだ」と決めつけた上五中七が面白い。赤塚不二夫漫画「天才バカボン」のパパの決めゼリフ「これでいいのだ!」を連想させ痛快さを感じる。「暖色の白」には合評会で「確かに蕪の白にはぬくもりを感じます」といった声や、「いかにも暖かい感じがする」といった選評があった。
話し言葉を使った句が、私たちの句会でどうも最近流行りのようである。軽快で印象が柔らかくなり、それなりの効果を生むのは否定できない。そうではあっても口語のみの俳句や話し言葉ばかりの俳句が全盛になると、古い頭の筆者などは困るなと思う今日この頃である。
(葉 21.12.29.)
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