冬の夜下駄の片方消えた謎 高井 百子
『この一句』
朝、起きて庭へ下りようと思って縁側の先を見ると、なんと下駄の片っ方が消え失せていた――夏の夜ならば河童、冬の夜ならば雪女の仕業といいたいところだが、もとよりそんなことがあるはずはない。その下駄が男物か女物かによって、犯人と怨嗟の在り方が…という、ミステリーを展開するのも一興ではあるのだが。
現実には、犯人(?)は狐か狸かアライグマか、というのが常識的なところか。近年ではハクビシンという線も捨てがたい。ちなみに作者の住んでいる所は長野県。とはいっても山の奥ではなく、上田市。庭の先を別所温泉行の電車が走り、線路の向こうには田圃が広がり、果樹園があり、独鈷山が望める「信州の鎌倉」の一画なのだ。
よく「俳句の基本は写生」だという。この一句も、まず「下駄の片方が消えた」事実を写生している。その景色を末尾の「謎」という一語で心情の世界へと転じることで、句は一段と奥の深いものになった。眼前のモノをきっちり描写する作品もいいが、読み手を空想の世界に遊ばせる、ちょっとした物語性のある作品がもっと増えてほしいと思う。
(光 21.12.21.)
この記事へのコメント