目貼して風の音聞く安下宿    篠田 朗

目貼して風の音聞く安下宿    篠田 朗

『この一句』

 恐らくは昭和時代の思い出をうたった句であろう。1950年代から70年代までは、都内23区には「安下宿」がたくさんあった。
 私の大学生活は1957年から61年春までで、日本が戦後のどん底から脱していよいよ立ち上がろうとしていた時期だった。まだまだ誰もが貧乏にあえいでいた。しかし親は三食を二食に減らし、子供を東京の大学に送り出した。子供も事情を十分わきまえて、アルバイトをしながら懸命に過ごした。
 横浜住まいの私には、下宿生活の学友の“自由”がうらやましかった。その一人K君の下宿が東中野にあった。ぎしぎし鳴る階段を上がった二階の四畳半。ドアを開けると一畳分の靴脱があり、その右手の半畳の板敷には物入れの棚が天井まで続いている。畳敷の四畳半の奥にはガラス窓があるのがせめてもの救いだった。窓からは西日が差し込み夏場は蒸れ返る暑さ、冬場は羽目板の割れ目から隙間風が容赦なく吹き込んだ。しかもこの部屋を一人で占めているのではない。同郷の同い年の学生と折半で借りているのだ。ここにしばしば転がり込んだのだから、今にして思えばすさまじい。
 この句の作者の年齢を知らないので確かなことは言えないが、目貼が必要ということなので木造安普請であることは確かだ。しかし、つくづく考えてみると、こういう所に寝転がって天下国家を論じていた当時の方が、今よりも生き生きとしていたように思うのだが、どうか。
(水 21.12.16)

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