老女押すバギーの子犬冬陽浴び 久保田 操
『季のことば』
昔から「冬日」「冬の日」という季語があるが、これが「冬の一日」を指すのか、「冬の太陽」を言っているのかが判然としない。句を全体的に捉えて初めて、「ああこれは冬の一日を詠んでいる句だな」「これは冬の日射を言うのだな」ということが分かる。「冬の日の三時になれば早や悲し 虚子」なら冬の一日であり、「冬の日の海に没る音をきかんとす 澄雄」なら冬の太陽ということになる。まことに不思議な季語だが、江戸時代から両方の意味で使われ続けている。
この句は「冬陽」としている。歳時記には無い言葉だが、「冬日」の誤解を避けるために、冬の太陽や光線を表す場合に「冬陽」と書く作例が20年ほど前から目につくようになった。違和感無く受け止められ、こういう季語改良の工夫があってもいいと思う。
やはり20年ほど前から、町中を小さな車輪のついた箱型バギーを押しながら散歩する老女を見かけるようになった。健康体で寿命を全うするには何をおいても「歩くこと・身体を動かすことだ」と言われるようになったのと軌を一にしている。
我が家の近所にも「せせらぎ緑道」という遊歩道があって、こういうオバアサン方がバギーを押している。押している箱車は腰掛けにもなり、座って一息入れているばあちゃんも居る。この句のばあちゃんは箱に愛犬を入れている。愛犬は面白いのかつまらないのか分からないような顔して中腰で縁に両前足を載せている。そこに小春日が当っている。すべて世はことも無しといった感じである。
(水 21.12.12.)
この記事へのコメント