生の牡蠣食へぬ男と食ふ女 横井 定利
『合評会から』(日経俳句会)
てる夫 思わず、うちのことかと思った。わが家では家内のほうがよく食っています。
水馬 この男は煮ても焼いても牡蠣が駄目なのかなあ。かかあ天下の夫婦なのかなあ。どことなく笑える。
静舟 私もフライだけ。女性で嫌いな人はめったにいない。
朗 私は牡蠣を食べたいとは思いません。いろいろ想像させる句です。
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面白いことを詠むものだと作者の機知に感心する。確かに牡蠣ほど好きな人と嫌いな人の別れる食物は無いように思う。だめという人は、見ただけでも気味が悪いと言う。好きな人は生牡蠣を思い浮かべただけで唾が湧いて来るという。
50年前、東欧に赴任していた頃、当時のユーゴスラヴィアのあちこちを周り、アドリア海の名物の生牡蠣を毎日食べた。あまりにも美味しいのである晩、1ダースを3回お代わり(36個)した。その夜中急におかしくなり、二日二晩猛烈な下痢に苦しんだ。最高級ホテルのダイニングルームで、ぴくぴく息づいているような牡蠣である。しかし、牡蠣はたとえ生きていても時々、大腸菌やその他いろいろ毒素を持ったものがあるらしい。上からも下からももう出るものが一切無くなっているのに、気持が悪く、腹が捩れるほど痛い。それを今でも思い出す。それなのに、一向に懲りずに今でも相変わらず生牡蠣を食べている。
この句は「食えない男」と「食う女」の組み合わせ。話としてはこの方が食中毒よりずんと面白いし、句になるようだ。 (水 21.12.09.)
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