パラダイスと言ひし町あり虎落笛 大澤 水牛

パラダイスと言ひし町あり虎落笛 大澤 水牛

『この一句』

 詠まれているのは洲崎パラダイス、洲崎遊廓のことである。根津にあった遊廓が、東京帝国大学の新校舎建築にあたり、風紀上よろしくないとの理由で1888年(明治21年)に洲崎(現東陽町)に移転され、1958年(昭和33年)に売春防止法により廃されるまで続いたものである。東京には遊廓や三業地は他にもあっただろうに、なぜ洲崎だけが「パラダイス」と呼ばれたのかはよくわからない。
 1951年生まれの筆者が洲崎パラダイスを知る由もない。それを知ったのは、川島雄三監督の「洲崎パラダイス・赤信号」からである。1956年に封切られたこの映画をあらためてネット配信で見てみた。ほとんどがロケによる撮影のため、洲崎はもとより秋葉原電気街などの街並み、居酒屋や蕎麦屋、都電やバスの様子、運河の貸ボート屋など、当時のありのままのシーンがとても興味深く、年月による変化の大きさを感じさせる。川辺でチャンバラごっこをする少年などには、つい自分自身の少年時代を思い出してしまう。
 一句は、そんなかつての「パラダイス」に、烈風が柵や竹垣などに吹き付けて立てる音をあらわす「虎落笛」を掛け合わせている。作者にとって、その時代、あるいはこの町がどんなものであったのか詳らかにしないが、冬の季語「虎落笛」と「言ひし町あり」の措辞が、少しセンチメンタルなものを含む、往時をしのぶ心情を伝えている。
(可 21.12.05.)

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