故郷の匂いの籠る刈田かな    宇佐美 諭

故郷の匂いの籠る刈田かな    宇佐美 諭

『この一句』

 都会から地方へ出かけて行き、刈田を見渡したとしよう。何度か見ているので、大きな驚きはない。「刈田は大体こんなものだ」という思い込みがあり、さほどの感興も覚えない。広々としている。日が当たっている。おや、鴉が飛んできたな。そのような印象によって句を作ってしまう。しかしその奥もありますよ、とこの句は教えてくれた。
 福島生まれの人がこんな風に話していた。「確かに田んぼには特有の臭いがある。田おこしから刈田の頃まで、長い間、何とも言えない臭いがあって、あれが田舎臭さというものなのかなぁ」。嫌な臭いではないという。しかし「匂い」と表記するほどでもなさそうで、農業に身近な人びとにとっては、お馴染みの、と言うべき臭いなのだろう。
 農業など各分野から生まれた多くの季語がある。句を作る側はそれらを歳時記で調べ、ネットで最近の情報なども集めたりする。句作りに限れば、それで十分としよう。しかし句会に出れば、もう一つの重要な仕事が待ち構えている。例えば掲句に漂う田の臭いを感じられるかどうか。つまり、その句を選ぶ力があるかどうかだ、と私は思った。
(恂 21.11.18.)

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