秋の灯にぼやきぼやかれ老いふたり 河村有弘
『季のことば』
秋の夜長を照す電灯は空気が澄んでいるせいか、他の季節と比べてぐんと際立って見える。日が落ちると空気はひんやりした感じになり、精神も爽快になる。たまには本を読んでみようかという気にもなるし、無沙汰続きの人に手紙でも書こうかと机に向かったりする。時には大ぶりのぐい呑みを手に、ひとりしみじみしたくなる。そうした気持を抱かせるのが「秋の灯」であろう。
さらに「秋の灯」には「懐かしい」とか「物思い」とかいう感じがつきまとう。日暮れが早くなり、家路をたどる足取りはついつい早くなる。春でも夏でも毎夕たどる道でありながら、秋の灯が灯った家を目ざす気分には独特なものがある。家の中でも秋の灯は特別な感懐をもたらす。昔のことがとりとめなく浮かんで来たりするのだ。とどのつまり、「どうしてこんなことになっちゃったんだろう」「それにしてもこの人は・・」等々、この句のようなことになる。
ただしこの句には救いがある。老夫婦お互いに「ぼやきぼやかれ」合戦を展開しているというのだから、あっけらかんとしたものだ。これがしんねりむっつり、会話の途切れたままの夜長の秋灯下では陰々滅々、居たたまれないだろう。
ぼやきぼやかれるタネはジイサンが若気の至りで蒔いた数々の悪行にあることは確かである。しかし、バアサンの方もそれを昔ほど青筋立てて言い募ることはない。これが互いに「枯れてきた」ということなのであろう。
(水 21.11.17.)
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