秋灯下終の棲家のチラシ読む 印南 進
『この一句』
「秋灯」という季語のもたらすうら寂しい感じを、「終の棲家探し」という極めて今日的課題を取り合わせることによって鮮やかに示した。
昔のように息子夫婦が老年の両親と一つ屋根の下に暮らす生活形態はほとんど無くなった。子供は大概、結婚と同時に親元を離れ新生活に入る。子離れした両親は、やがて職も退いて第二の人生を歩み出す。昔なら60代後半から70代前半の老夫婦は猫と一緒に離れにでも引っ込んでの隠居暮らしが普通だが、今やここからが第二の人生充実期とばかりに「我が世の秋」を満喫する。
しかしそれも、70代後半ともなると、そろそろ「閉幕」のことを考えなくてはならない。自分も連れ合いも身体のあちこちがおかしくなりはじめた。どちらが先かは分からないが、遅かれ早かれ独りになることは間違いない。女房に先立たれたジジイの成れの果ては想像するだに恐ろしい。この一戸建ての住まいは婆さんと二人でローンを払いながら手にした愛着一入のものだ。さりながら、息子夫婦に孫まで呼び寄せて住まうには狭すぎる。「ここを売って、それを入居一時金にして医療や介護の整ったマンションに入ろうか」と老妻に語りかける。その種の施設のチラシやダイレクトメールが盛んに舞い込む。「ホントかな」と思わせるような「快適さ」ばかりが書かれている。
この句はずいぶん暗いことを詠んでいるのだが、至極平静。「どうしたものかなあ」などと、老眼鏡をメガネ拭きでこすったりしている、まだまだ余裕たっぷりの姿がうかがえて救いがある。
(水 21.11.14.)
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