跳べぬ身の冬空睨む石蛙     中村 迷哲

跳べぬ身の冬空睨む石蛙     中村 迷哲

『この一句』

 上五中七で「はて、何だろう」と考えさせ、答えを見れば「石蛙」。石ならば跳べないのは当然、当たり前なのだが、どこか面白い、おかしみがある。ただ「なぜ石蛙…」「それも冬空に…」という疑問が出るかも知れない。説明すれば、これは十月半ばに深川の芭蕉ゆかりの場所を巡り歩いての吟行句なのだ。
 これで「ははん」と思われる方もいるだろう。深川は蕉風を確立した場所であり、蛙は「古池や…」にちなむもの。芭蕉庵のあった場所は確定されてはいないものの、大正時代に台風の後、芭蕉遺愛のと目される石の蛙が出土、そこに芭蕉稲荷が創られた。その石の蛙はいま、江東区芭蕉記念館に展示されている。
 蛙が空を睨んでいても不思議はない。ただ吟行が暦の上では秋の日だったことから、「冬空」を疑問視する声が出た。当日、大川の上の空は鉛色で、冬の感じだったけれど…。ここで知性尊重か情感優先かの議論をしても意味はあるまい。ただ、これぐらいの創作は許されていいように思われる。「荒海や…」の芭蕉に、実際は佐渡も天の川も見えなかったはずだから。
(光 21.10.26.)

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