相撲部屋シャッター降りて冬隣 向井 ゆり
『季のことば』
「冬隣」という晩秋の季語は、やや哀愁を帯びていて魅力的だ。「冬近し」の傍題となっていて「水牛歳時記」によれば、「冬近し」が普遍的客観的に「冬が来るぞ」と言うのに対して、「冬隣」はもう少し個人的な感情に引きつけて物事を言う言葉のようだ。要するに、やや心情的感慨が入ったのが「冬隣」だろう。
話は飛ぶが、ちあきなおみに「冬隣」という歌がある。伴侶に先立たれた奥さんが、亡き夫を偲んで、彼の好物だった焼酎のお湯割りを口に含みながら、私を独りぼっちにさせないで、と歌い上げる内容だ。この歌を聞くと「冬隣」の本意がなんとなく伝わる。
掲句は、吟行で訪れた深川巡りでの嘱目。芭蕉旧跡を訪ねる途中、作者はとある相撲部屋の前を通りかかった。本場所の華やいだ喧騒が去り、朝稽古も終わったのか部屋のビルはシャッターが閉ざされていた。その寒々しい光景に、冬の気配を感じ取った瑞々しい感性が句座の琴線に触れたのだろう。作者を除く参加者13人中7人、つまり過半数の支持を得て堂々の一席に輝いた。作者は吟行、即句会という経験は初めてというから驚く。見たままを季語に託して詠んだことで、吟行句にありがちな、参加者だけが共感できる句材、詠み方ではなく、独立した句としても十分通用する秀句となった。
(双 21.10.20.)
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