秋黴雨水木楊氏の著作読む 堤 てる夫
『この一句』
俳句にはいろいろなジャンルがあるが、ことに難しいのは追悼句、弔句だと思っている。難しさの理由を二つばかりあげられるが、まず「誰々さんを偲ぶ」などの前書きがなくとも句意が理解されるかどうかということがある。往時の俳人を偲びつつ作る句には、芭蕉忌、糸瓜忌などとあらかじめ季語として用意されていて便利でかつ誤解はない。俳人でなくとも著名人なら、事績や人柄が句に表れればそれなりに受け取ってもらえるだろう。二つ目の理由は、追悼句はそれでなくとも感情移入に陥り易いのではないかと思うからだ。冷静に故人を偲ぶのは簡単ではない。
追悼句としてすぐ思い付くのは、芭蕉の「塚も動け我が泣く声は秋の風」、虚子の「子規逝くや十七日の月明に」、漱石「有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中」などで、いずれも名句とされるが、筆者の拙い鑑賞力からいえば感情過多ではと言いたい句もある。
掲句は日本経済新聞の編集局で活躍され、作家としても文筆を振るった市岡揚一郎(水木楊)氏の訃報に接し詠んだ追悼句だ。作者はじめ俳句会仲間には周知の方である。句中に人物名が詠みこまれているので前書き不要。水木氏とその死去すら知らない向きには追悼句とは読めない。しかし、そもそも俳句結社における追悼句とは仲間内のものに過ぎないものと言えまいか。この句の平板な中七下五は故人を知る人に静かに迫って来る。折から降り続いた「秋黴雨」という絶妙の季語が偲ぶ心を揺さぶっている。
(葉 31.09.22.)
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