夕立や縄文人の高笑ひ 植村 方円
『この一句』
縄文人は1万6千年前から日本列島に住み、我々の先祖であることに違いは無い。しかし紀元前600年頃以降、中国大陸・朝鮮半島から入り込んで来た弥生人に圧迫され、北へ北へと追いやられた。そうしながら弥生人と混血しつつ、平安時代末にほぼ征服同化されてしまった。いま北海道に生き残っているアイヌ民族が縄文人の末裔なのではないかという説もある。東北に確固たる文化国家を形成していた縄文人は、弥生人の大和朝廷による全国制覇に抵抗したが故に蝦夷とか俘囚と呼ばれ、征夷大将軍坂上田村麿による延暦13年(794年)から21年にかけての蝦夷征伐、源頼義・義家親子による安倍貞任・宗任征伐(前九年後三年の役)で壊滅した。
縄文時代のことが遺跡発掘の進むにつれて少しずつ明らかになってきた。6千年から5千年前に、既に広場を囲んで竪穴式住居を並べる集落を形成し、石器土器の製造はもとより衣服、弓矢や漆器も作り、翡翠の勾玉まで作っていたという。三内丸山遺跡の巨大建築物や耕作地跡など見ると高度な文化を持っていたことがわかる。それなのに絵文字の一つも残していないのが不思議だ。
恐らく文字で伝えるなどという、まだるっこい方法の必要無い、ツーと言えばカーの大家族的集団の平和な暮らしぶりだったに違いない。夕立が降れば男も女もみんなシャワー代わりに浴びて、大歓声を上げていたのだろう。
(水 21.09.03.)
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