デパ地下に並ぶきゅうりの優等生 塩田命水
『この一句』
べつに統計をとっているわけではないが、俳句の素材には、メジャーなものよりマイナーなもの、盛んなものより廃れたもの、出来の良いものより少々出来の悪いものを好む傾向があるような気がする。鉄道で言えば、新幹線よりローカル線や路面電車などが好まれ、廃線跡や無人駅などもしばしば登場する。こういう句材はやはりなにかしら郷愁のようなものを感じさせ、俳句を詠もうとする心持にフィットするところがあるのだろう。しかし一方で、こういう句材はいつも「類句類想多し」と批評される危うさも持っている。
この日の兼題は「胡瓜」。三十余句集まった中に、やはり、曲がった胡瓜や採り忘れて大きくなり過ぎた胡瓜を詠んだ句がいくつかあった。そんな中、この句に詠まれたデパ地下の胡瓜は、どれも真っ直ぐで、見栄えも堂々とした、ケチのつけようのない胡瓜に違いない。曲がった胡瓜の句が多い中に、この句が置かれると意表を突かれた気がする。しかもそれを「優等生」と表現したところが実に面白い。
作者は決して笑いをとろうとしたわけではない。作者は生真面目に正面きって「きゅうりの優等生」ぶりを詠んでいるのである。しかし、その生真面目さこそが、意図せずして微笑を誘う効果をもたらしている気がする。いずれにせよ、類句が思い浮かばないユニークな句である。
(可 21.06.29.)
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