通りにも裏表あり燕来る 玉田 春陽子
『合評会から』(酔吟会)
木葉 裏と表のある通りといえば、かなり広い通りでしょう。燕が来て、表通りにも裏通りにも飛び回っているという句意かと思います。燕の勝手ながら、コロナ禍の町で自由を謳歌するのは羨ましい。
双歩 確かに。木枯らしとかでもいけそうですが、燕は似合いますね。
光迷 表通り・裏通りに関して言えば、姫街道なるものも存在しました。また裏表のあるものでは、紙(紙幣)、情報、人柄(表の顔・裏の顔)などか頭に浮かび、いろいろ考えさせられました。
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双歩さんの「木枯らしとかでも」という感想は、かなりの人が持つのではないか。一読した時、自分は「猫の恋でも」と思った。つまり、季語が動く、必ずしも燕でなくともよいのである。で、読者は夏では、秋では…と、季語を入れ試してみてほしい。
それはともあれ「裏表あり」という言葉によって、この句は奥行き、含蓄を増した。スポーツではサッカーなどにコイントスの裏表があり、政治の世界にはコロナの緊急事態宣言などをめぐる裏表がある。一筋縄ではいかないのが世の中とはいうものの…。
(光 21.05.20.)
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