亡き人と似た人に会う春霞 斉山 満智
『合評会から』(番町喜楽会)
白山 こういうことはあるだろうなと思わせます。亡くなった女房に似ているな、とか。
幻水 「霞」の季語と亡くなった人のイメージがロマンチックに結びつきます。
水牛 霞や朧というものは、よくこういう場面を作ります。
的中 最近、昨年亡くなった母親の夢を見ることがあります。亡くなった人の面影を探す気持ちが、このような情景を生み出すのでしょう。気象用語では、視程1km未満を霧、視程1~10kmを霞というそうです。「春霞」より「春の霧」が正確かもしれません。
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身近な人を亡くしたり、愛する人との別れを迎えるのは、誰しも辛いものだ。そんな思いが募ると、街中などで故人に似た人を見かけたような気がすることがある。もちろん他人の空似なのだが、なんとなく似ているだけに、心が騒ぐ。大気が霞んでいたり、霧が出ていたりすれば尚更だ。
「そういうことは確かにある」。上記の選者と同じように、筆者も大いに共感した。ただ気になったのは、霞は、水蒸気で遠くのものがはっきり見えない現象だと思っていたので、的中さんの指摘ほど科学的ではないものの、ニュアンスがちょっと違うような気がした。似た現象の夜の季語「朧」ならどうだったろうか。
(双 21.05.13.)
この記事へのコメント
中村 迷哲
同じ現象を昼は霞と呼び、夜は朧と言うようです。この句は春霞の頃に街か公園で行き合った人に、亡き人を思い出したということなので、霞で合っていると思います。もちろん夜桜見物の朧の中とと、さらに懐かしさが募りそうです。(迷哲)
酒呑洞