お堀端柳に刻む動乱史 深瀬 久敬
『合評会から』(三四郎句会)
雅博 私も 最近皇居を眺める機会があった。「柳に刻む」になるほどと思った。
進 皇居を囲む柳は幾多の動乱を見て来たことだろう。
有弘 桜田門外の変、2・26事件など、うつろいを見てきた!
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作者は晩春の一日、国会図書館から堀端を、桜田門、第一生命ビルなどを眺めつつ有楽町まで歩いた。その道すがら、芽吹き始めた柳並木を見て自然に頭に浮かんできた思いだという。こういう句はともすると理屈っぽくなってしまうものだが、この句はごく素直に受け取れる。「動乱史」という少々こなれない言葉もさしたる抵抗もなく腑に落ちる。これも偏に「柳」という趣豊かな木のおかげであろう。
評者が交々述べているように、皇居堀端の柳は、徳川将軍の江戸城開城以来、さまざまな出来事を眺めつつ時代を経て来たのだろう。皇居に面して建つ列柱堂々たる第一生命館は占領中、連合軍総司令部となりダグラス・マッカーサー元帥が鎮座し、昭和天皇をここに呼びつけて日本国は連合軍(実質は米国)の支配下にあることをはっきりと印象づけた。
今やそこは「皇居マラソン」の男女が走り回り、東京見物の老若が散策し、時には5・7・5をつぶやきながら徘徊する老人のメッカとなっている。柳はと見れば、「なよなよ風しだい」である。
(水 21.05.11.)
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