江戸の海この辺までと老柳    植村 方円

江戸の海この辺までと老柳    植村 方円

『合評会から』(日経俳句会)

而云 柳の老木が生き残っている。旧家の門の横か、道路の脇か。久しぶりに柳を見た作者は、「江戸時代はあの辺まで海だった」と思う。
静舟 銀座の柳か。埋め立ての地の銀座の特徴を老柳で端的に表現している。
三薬 銀座か品川宿あたりか。柳並木の一画に立つ名所案内板には、ここらは昔海だった、と書かれている。老いた柳のたたずまいが、街並みにふさわしい。
雀九 新橋、品川の今は街中の老柳も、かつては浜風に揺れていた。
水馬 江戸の町は土手を守るための柳並木が多かったようです。銀座の風景も彷彿とさせる句ですね。
水口 江戸の海を見ていた老柳のつぶやきが聞こえてきます。老人が昔を物語っている風情もあって、まとまりのいい一句。
*       *       *
作者の弁「銀座と新橋の間、高速道路のガード下にあるあの記念碑と、側にある痩せこけた柳を思い起こして作りました。あのあたり、昔『橋善』という天ぷら屋があり、かき揚げが名物でした。年に数回、一家そろって橋善に行くのが最高のごちそうでした。懐かしいところです」。
これがすべてを語っているのだが、舞台裏をあからさまにすると、この辺の柳は戦災ですっかり無くなり、その後に植えられたものは1964年の東京五輪当時の区画整理で根こそぎにされ、「老柳」は絶無。その後に植えられたのが今やみずみずしい枝葉をそよがせている。
(水 21.05.06.)

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