水温む魚影を探す聖橋 向井 ゆり
『合評会から』(酔吟会)
三薬 御茶ノ水を流れる神田川。大きな鯉が泳いでいます。橋を渡る時はついつい覗き込んでしまいます。花がほころびる頃になればなおさら。懐かしい風景です。
二堂 私も御茶ノ水のホームから覗いて見たのを覚えています。川の水が綺麗になってきましたので。
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神田・お茶の水は学生街。聖橋は駅を出たすぐ、神田川に架かる橋脚がアーチ形の美しい橋だ。聖橋の名の由来は湯島聖堂とニコライ堂の二つの「聖」を結ぶからとは、うかつにも知らなかった。この句は実にいい舞台を持ってきたものだ。駅ホームからの眺めが懐かしいと言う上記選句者たちも、別に近辺の大学に通った卒業生ではないのだが。昔よりもずいぶん綺麗になった神田川には魚が泳いでいるはずと、聖橋の上から探りを入れる作者。いま卒業、入学の季節を迎えたが、コロナ禍のせいで人の往来はあまりない。この季節ならではの、卒業式帰りの華やかな振袖の群れもいない。作者は「魚影を探す」と言いながら、実は学生の姿を探しているのではと思ってしまうのである。学生の街に、コロナ禍に翻弄されるその姿を目で追っているとしたら、ひそやかな時事句と受け取れないことはない。
(葉 21.03.30.)
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