白魚を南無阿弥陀仏と啜りけり 廣田 可升
『この一句』
なんともバカバカしい俳句だが、とても面白い。これも俳諧味というものであろう。確かに白魚の「踊り食い」にはこういうところがある。朱塗りの大盃や白磁の大鉢に泳がせた白魚がぴちぴち跳ねているのを、小さな網杓子で酢醤油の小鉢に取って啜る。口中でもぴちぴち跳ねる。それをぐっと呑み込む。ただ酸っぱく塩っぱい、動くトコロテンといった感じ。するっとノドを通る食感だけが取り柄の、味も何も無いものである。まあ食通などが行き着くところ、こうしたものを喜ぶのだろうが、料理の本道から外れたゲテモノである。
白魚の句では南無三と呑み込むとか、目をつぶって啜り込むという叙述をどこかで見たような記憶があるのだが、それはまあ、こうしたゲテモノ食いには誰もが抱く思いであり、似たような詠み方がなされるのも有り得ることだろう。
「万物の霊長」なぞとふんぞり返っている人間は、ずいぶんおかしなことをする。中央政権の言うことに従わない地方の少数民族を迫害したり虐殺したりといったことが今でも地球上のあちこちで行われている。白魚の踊り食いなどはまだまだ“可愛らしい蛮行”とでも言おうか。類句があらばあれ、この句を読み返して、愚行経験者の一人としてあらためて南無阿弥陀仏を唱えよう。
(水 21.03.29.)
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